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2020年7月 8日 (水)

深作欣二監督監督が残してくれた作品「軍旗はためく下に」、今この映画が必要だと思います。

「軍旗はためく下に」

スタッフ

製作

松丸青史 、 時実象平

原作

結城昌治

脚本

新藤兼人 、 長田紀生 、 深作欣二

監督

深作欣二

撮影

瀬川浩

音楽

林光

美術

入野達弥

録音

大橋鉄矢

照明

平田光治

スチール

石月美徳

編集

浦岡敬一

助監督

片桐康夫

 

キャスト

富樫勝男・伍長

丹波哲郎

妻サキエ

左幸子

娘トモ子

藤田弓子

寺田継夫・上等兵

三谷昇

ポール・槙

ポール牧

越智信行・憲兵軍曹

市川祥之助

越智信行女房

中原早苗

秋葉友幸・伍長

関武志

大橋忠彦・陸軍少尉

内藤武敏

千田武雄・陸軍参謀少佐

三代目中村翫右衛門

後藤少尉・学徒兵

江原真二郎

堺上等兵

夏八木勲

堺上等兵女房

藤里まゆみ

小針一等兵

麦人

厚生省課長

山本耕一

 

原題

Under the Flag of the Rising Sun

製作年

1972年

製作国

日本・新星映画社

配給

東宝

上映

時間

97分

 カラーワイド 

 

178

 

 

 

広い世界はひと言:

自分を鼓舞してくれる映画も観ます。最近観た映画で1972年製作の映画「軍旗はためく下に」

深作欣二監督・左幸子、丹波哲郎主演です。自分の夫が戦地で死んだ、規律違反で処刑されたとのこと。

果たして真実は。妻がそれを調べてゆく話ですが、戦場の飢えや凄惨さ、それ故に起きた一つの事件

が浮き彫りになってくる。戦争がなければ、ごく普通の男として一生を終えたであろう

人達ばかりだと思わせられました。戦中派の深作の強い希望で映画化された作品です。

東映では企画が通らずに、新星映画社と言う独立プロで映画化されました。「仁義なき戦い」の片鱗が

もう画面に現れています。「仁義なき~」も暴力肯定映画ではないと深作本人が言っています。深作の

映画で好きな作品は「蒲田行進曲」当時大スターの松坂慶子を挟んで無名の風間杜夫、平田満の2人

の共演(当初は松田優作、宇崎竜童の予定でした)劇作家つかこうへいの原作「です、「火宅の人」

出演緒形拳、いしだあゆみ。作家檀一雄を描く。深作は文芸作も得意です。今年は深作生誕90年です。

軍旗~は深作作品の中では地味で、異色だと思いますが、深作の反権力のバックボーンを感じさせられ

ました。戦前も普通の家族の生活があったと思います。国民の知らないうちに戦争に突入していった

と思うと、怖いです。製作から48年経ちましたが、今の日本に必要な映画です。

放送してくれたWOWOWさん有り難う。妥協しない監督深作欣二は、映画「いつかギラギラする日」

では当初3億円の予算で、完成してみたら11億円もかかっていたそうだ。

深作は大部屋の俳優にも演技を、しっかりつけたそうです。また、大部屋の俳優を名前で呼ぶ唯一の

監督でもありました。ハリウッド映画「ラストサムライ」でブレイクした東映京撮の日本一の斬られ役者

福本清三は深作をただ者ではない監督だと思ったそうです。監督の葬儀には繋がりがないと思われる、

山田洋次も来ていた。会社上層部とは対立していたと、岡田元社長の弔辞の言葉です。製作費に11億円も

使われてはね。思想的にも何を考えてるか分らない監督だし。この映画は、そんな深作だから撮れた

と思います。深作は論理で作品を作らずに自分の興味で作るのです。そこが社会派の巨匠の山本薩夫

とは違うところです。残念ながらこの作品のような後世に残る作品は山本にはないと思う。

「軍旗はためく~」は反戦映画だから評価するが、「仁義なき~」は暴力団、暴力肯定の映画だから

評価しないとなる。両作とも同じ思想で作られていると思いますが、左翼の映画評論家にはそうは

映らないみたいです。最後にこの映画の悲劇となったある事件とは、学徒兵の後藤少尉についてです。

昭和18年に日本政府は大学・専門学校の徴兵猶予の枠を狭めました。それにより、学校を休学したまま

戦地に赴き帰らなかった学生が多数いました。後藤少尉の悲劇も学徒兵の悲劇です。

学徒兵は高学歴のため20歳前後で少尉になります。周りから嘗められないように部下にキツく

あたり、そのため、孤立し疑心暗鬼になって行き、富樫達の部下に殺されました。部下にしてみれば、

このままでは後藤少尉に殺されると、おもいあまって殺害したのだと思う。。後藤も本来は大学で勉強

していたはずの高々20歳の若者です。両者とも、国のシステムに殺された被害者かも知れません。

どんな理由が有ろうと、戦争はしてはいけないと思います。

学徒出陣・学徒兵について、下にリンクを貼りました。よろしければどうぞ、ご覧下さい。

 

参考}映画のストーリー結末の記載を含むものもあります。(MOVIE WALKERより)

昭和二十七年、「戦没者遺族援護法」が施行されたが厚生省援護局は、

一戦争未亡人の遺族年金請求を却下した。「元陸軍軍曹富樫勝男の死亡理由は、

援護法に該当すると認められない」。富樫軍曹の死亡理由は、「戦没者連名簿」によれば

昭和二十年八月南太平洋の最前線において、「敵前逃亡」により処刑されたと伝えられている。

そして遺族援護法は「軍法会議により処刑された軍人の遺族は国家扶助の恩典は与えられない」

とうたっているのだった。富樫軍曹の未亡人サキエは、この厚生省の措置を不当な差別として受けとった。

それには理由があった。富樫軍曹の処刑を裏付ける証拠、たとえば軍法会議の判決書などは何ひとつなく、

また軍曹の敵前逃亡の事実さえも明確ではなかったからである。以来、昭和四十六年の今日まで、

毎年八月十五日に提出された彼女の「不服申立書」はすでに二十通近い分量となったが、

当局は「無罪を立証する積極的証拠なし」という判定をくり返すだけだった。

しかし、サキエの執拗な追求は、ある日とうとう小さな手がかりを握むことになる。

亡夫の所属していた部隊の生存者の中で当局の照会に返事をよこさなかったものが四人いた、

という事実である。その四人とは、元陸軍上等兵寺田継夫(養豚業)元陸軍伍長秋葉友幸(漫才師)

元陸軍憲兵軍曹越智信行(按摩)元陸軍少尉大橋忠彦(高校教師)。サキエは藁にもすがる思いで、

この四人を追求していく。彼らはどんな過去を、戦後二十六年の流れの中に秘め続けてきたのか--?

その追求の過程で、更に多くの人物が彼女の前に現われてくる。--師団参謀千田少佐 

小隊長後藤少尉 富樫分隊員堺上等兵 同小針一等兵。そしてその結果--サキエの前に明らかに

されたものは、今まで彼女の想像したこともなかった恐るべき戦場の実相だった--敵前逃亡、友軍相殺、

人肉嗜食、上官殺害等々、そうしたショッキングな事件が連続する中で、サキエは否応なく、亡夫のたどった

苛烈な戦争の道を追体験していくのだった。

学徒出陣とは一体何だったのか(ウイキペディアより)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%BE%92%E5%87%BA%E9%99%A3

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